環境エンリッチメントの具体的な取り組み
本日は「環境エンリッチメントの具体的な取り組みについて整理していたら反省した」という内容を記していきたいと思います。
以前の記事で「環境エンリッチメント」の目的と種類の整理を行ないました。
環境エンリッチメントを整理してみた - 動物園の飼育員になりたい君へ
今回は整理した各エンリッチメントには具体的にどのような試みがあるのか、という情報を集め集約します。
まずは復習
環境エンリッチメントは以下の5つのカテゴリーですね。
社会的エンリッチメント
認知エンリッチメント
空間エンリッチメント
感覚エンリッチメント
採食エンリッチメント
では、それぞれ具体的に見ていきましょう。
社会的エンリッチメント
社会的エンリッチメントは、他個体や他種個体、人、物質などの外部からの刺激になります。
具体的には
【他個体からの刺激】
単独で飼育→群れで飼育
混合飼育として異種個体を入れる(異種個体を入れる場合は、地上、水上、樹上など生活する環境が異なる動物種にすると、空間利用の棲み分けが起こりやすい)
【人との関わり(を増やす)】
飼育員からの手渡し給餌
ハズバンダリートレーニング
来園者がスマホに画像を提示してもらい動物に見せる
来園者側に井戸ポンプがあり、動かすと放飼場から水が出る
暑い夏に霧吹きを設置し、動物に向かって来園者に霧のプレゼントをしてもらう
【人との関わり(を低減する)】
カモフラージュネットで来園者にのぞき込んでもらう
カーペットを敷いて来園者の足音を少なくする
【物質との関わり】
鏡の設置
ぬいぐるみを投入
デコイの設置
といったことが考えられます。
群れ飼育に切り替える、混合飼育に切り替える、は獣舎ごと改修が必要になったり、動物の搬入が必要であったりするので、思いついてぱっと取組む事は難しいかもしれません。
飼育員として社会的エンリッチメントを取組むのであれば、「人との関わり」の部分からスタートするのが良さそうです。
現在、ハズバンダリートレーニングは多くの園館で導入されており、知見も貯まっています。残念ながら私自身はハズバンダリートレーニングに取組んでいないので、まだ情報を整理していないですし経験もないので、これから情報収集を行いタイミングを見て取り組んでいきたいと思っています。選択肢の一つとしてハズバンダリートレーニングのスキルを持っておくのはこれからの飼育員には必須科目になるかもしれません。
認知エンリッチメント
その動物が持つ認知能力(頭を使う)を引き出す機会を提供するための取り組みです。
具体的には
パズルフィーダー
ハズバンダリートレーニング(社会・認知)
【新しい経験】
新しい食べ物(ジャム・サバ缶・シリアル・虫・ゼリー・無塩ポップコーン)
新しい物(iPad・新規フィーダー・鏡・写真)
未知の匂い(ハーブ・エッセンシャルオイル・デオドラントスプレー・ハチミツ水・石鹸・わさび)タバスコ・香水
水の加工(麦茶・氷)
といった試みがあります。
ハズバンダリートレーニングと鏡は早くも2度目の登場ですね。このように一つの試みが、いくつかのエンリッチメントとして同時に効果があるものもあります。
少しレベルが高いもので、薬効を持つかもしれないいくつかのハーブ類のような幅広い植物種を与え、動物たちに自己医療の機会を与える、という選択肢もあります。これに関しては深く情報収集をしていないので何ともですが、人の漢方に関して知見を深めていくともしかしたら良いかもしれません。
「新しい」に関しては、動物にとって安全である、というのが必須条件です。
どのようなものを取り入れることができるかは、日頃からアンテナを立てて、イメージするのが大切です。カラーバズ効果(ある一つのことを意識することで、それに関する情報が無意識に自分の手元にたくさん集まるようになる現象)を意識的に活用して選択肢を見つけ出す努力も必要となります。
空間エンリッチメント
動物の行動特性が発揮できる空間づくりによるエンリッチメントです。
具体的には
【空間構成】
天井の活用(檻場であれ葉のついた枝を設置し、中から取れるようにする)
棚、はしご、見晴台といった空間を立体に使えるように
遊具
水場
雨よけ
背こすり用丸太
どろ浴びができるぬた場
隠れ場所としての穴、巣穴
ねぐらやハンモック
床材の種類(砂、土、バーク、落ち葉、乾草、シュレッダー後の紙、ゴムマット、人工芝)
【空間環境】
温度、湿度、光量、風
【空間利用】
夜間は放飼場と寝室を両方利用できるように
といった試みがあります。
空間エンリッチメントに関しては、飼育員としての腕の見せ所でもあります。多様な空間利用は動物たちが暮らす生活を如実に豊かにしていきます。
動物のことをたくさん観察して、「こういった構造にしたら動きが変わるかな?」とイメージし、実際に製作して設置していきます。他の園館での取り組みを参考に思いっきりパクるのもいいですね。いいものはどんどん取り入れていきましょう。
ここで重要なのがその行動を「動物が選べる」ということ。
高い場所がある、ひんやりした床がある、日陰があるなどなど、動物がそのときの気分で、どこで何をするかを動物自身で選べることができることこそが、飼育下という限定的な空間の中で動物たちの生活を豊かにするためには非常に重要です。
掃除が楽だから全面コンクリートでいい、は飼育員として思考停止に陥ってしまっています。
とある類人猿での研究(メモなので文章は変です)では、
コンクリートが衛生的?→排泄物がたまってくると、多くの霊長類は床を使わなくなる。
ウッドチップを厚く敷くと、コンクリートむきだしの場合より、床面の利用度が増加。遊びの時間は増加し、敵対行動は有意に減少。
衛生上懸念されたような細菌の増殖もなく、むしろ細菌は減少していったし、6週間そのままでも、むきだしで1日使用した場合より臭気が少ない。
といった研究で明らかになっていることもあります。
飼育員のために動物がいるのではなく、動物のために飼育員がいるのです。疲れようがなんだろうが動物の生活を豊かにするために妥協するようではいけません。
体をムキムキに鍛えましょう。
感覚エンリッチメント
人でいう「五感」に対してアプローチをするエンリッチメントです。
具体的には
【嗅覚】
同種の匂い
異種の匂い(匂いつき乾草、尿、ライオンの放飼場に夜間ヤギを放す、肉食獣と草食獣を交互に展示)
その他の匂い(ハーブ、エッセンシャルオイル、デオドラントスプレー、ハチミツ水、石鹸、わさび、タバスコ、香水、ペパーミント、ローズマリー、バニラ、オレンジ、モモ)
【聴覚】
ジャングルの音や穏やかな音楽
他園の同種個体の鳴き声
ヒーリングミュージック
クラシックミュージック
【視覚】
見晴らしの良い高い場所を作る
鏡を設置する
モニターで動画を流す
触角は空間エンリッチメントで、味覚は採食エンリッチメントを参照のこと
受け取る側である動物の感覚を意識して環境エンリッチメントを考えていきます。人間本意でエンリッチメントを行なってばかりいると動物にとっては効果的ではない状態になってしまいます。
人間はとかく視覚を第一に考えてしまいがちですが、動物からみた重要度は、嗅覚、聴覚、触覚、視覚の順番が重要です。
エンリッチメントを作っていくときに優先的に嗅覚、聴覚を刺激していきましょう。
聴覚に関する研究として
京都大学霊長類研究所の須田らによる音楽を使用したエンリッチメントの取り組みがある。これは、京都大学霊長類研究所のリサーチリソースステーション育成舎で飼育されているニホンザルに、クラシックやヒーリングミュージックを聞かせたもので、聞かせた個体群においては、対照群に比べ、威嚇、追い回し、および闘争のすべての行動が音楽を流した条件で減少した。また、音楽を流しているときに、多くのニホンザルが音源に近い場所で互いに近づいて滞在した時間が比較的長かったというものである。
というのや、視覚に関する研究として
チンパンジーやそのほかの動物あるいは人間のビデオを10個体のチンパンジーに見せた結果、提示されていた38.4%の時間モニターを見ていた。一個体でいる個体のほうが見ている時間が長かった。行動自体に変化はなかったが、それに時間を費やしたことはエンリッチメントとして役立つだろうということが示された。
という研究も出ています。
上記の取り組みは研究的に取り組まれているもので、あまり動物園で行われているのを聞いたことはないのですが、取り入れていくのもいいかもしれません。
以前どこかの動物園のアジアゾウの飼育舎で現地のキーパーが働いていて東南アジアの音楽が流れていました。来園者にアジアの雰囲気を伝えるとともにゾウにとってもいい試みだったのかな、と思っっています。
採食エンリッチメント
野生本来の採食行動を発現できるようにしたり採食の方法のバリエーションを増やす工夫をするエンリッチメントです。
具体的には
【新しい食べ物】
ジャム、サバ缶・シリアル・ピーナッツバター(無塩)・ハチミツ・ヨーグルト・ゼリー(血)・無塩ポップコーン・生き餌、虫、
【バリエーションとタイミング】
週ごとに規則を変える
1、2週に1度、特別な果物や野菜をあげる
給餌のタイミングを変える
自動給餌器を設置する
【採集難易度を上げる】
丸太にドリルでたくさんの穴をあけてピーナッツを詰める
ウッドチップなどを敷いた中に餌を隠す
編み目の細かい餌カゴに乾草を入れる
小さな穴の開いた少しずつペレットが出てくるフィーダーを設置する
【餌を加工する】
夏期、果物などを冷凍して与える
凍らせたジュース
ゼリー化
水を麦茶に
採食は動物にとって非常に取り組みやすいエンリッチメントです。思いついて取り組み始めたら効果がすぐにわかるので、エンリッチメントを行い始めはとりあえず採食エンリッチメントからスタートして、徐々にほかのエンリッチメントを導入していくのもいいかもしれません。
また、方法のみではなく、給餌の質として
霊長類の給餌内容はたいてい栄養価が高すぎ、かさがあって繊維質で低カロリーの飼料が不十分。葉はいつでも食べられるようにすべき。
飼育下で与えられる果物や野菜は、野生下で食べている食べ物よりも繊維分が少ないことが多い。繊維質の多い食べ物を与えることで、ゾウの活動時間が増加したり、ゴリラやチンパンジーなどでは吐き戻し行動が減少した
ということがことが報告されていたり
肉食獣では、精肉されたものでなく骨や毛皮などがついた屠体を与えることで、採食時間の延長、常同行動の減少、休息時間の増加
や
草食獣では、餌の中の食物繊維の量を増やせばキリンでの口唇性常同行動を減らすことができる。
という情報もあります。
加えて
コントラフリーローディング
飼育動物にすぐに食べられる食べ物と手間をかけないと食べられない食べ物を同時に与えた時に、わざわざ手間をかけないと食べられない方を選ぶ
という動物の特性も把握しておきましょう。
エンリッチメントのアイテム例
色々なエンリッチメントが複合的に入っているのですが参考までに
大型ネコ科
・動物の皮、足、ブタ/シカ/家畜の頭
・植物(ヤシの葉状体/タケ/バナナの葉/ブドウのツル)
・シカの角
・段ボール
・鳥の羽根
・紙管(顔の大きさより小さいもの)
・ブーマーボール(またはスプール)
・もみの木(クリスマスツリー)
・霊長類もしくは小型哺乳類が使った枝やウッドチップ
・トウモロコシの茎
・血付きの餌
・餌入りの氷球
・活魚・草藪、鉢植え
・血のゼリー
・固ゆでの卵
・餌入りの氷・メロン、ヒョウタン、カボチャ
・大腿骨
・ピーナッツバター、ジャムやゼリー、ハチミツ
・丸太、切り株・香水
・飼料袋
・アライグマ、シカ、ヘラジカの尿(アメリカで市販されているらしい)
・松ぼっくり
・ラット、マウス、ウサギ(生死を問わず)
・あばら骨
・爪とぎ用の木
・砂場(おそらく排泄用の場になる)
・スパイス、ハーブ(ロシアンセージ、ミント、クミン、ナツメグ、キャットニップ、クローブ、バジル、オレガノ、ローズマリー、ローズヒップ、バラの花びら、オールスパイス、シナモン、パンプキンパイ用スパイス、ペパーミント)
・雪、角氷・ミスト
・有蹄類の使ったワラ、乾草
・電話帳、新聞紙
・鶏のと体(丸ごと)
ホッキョクグマ
・漁具(ブイ各種)
・ガス管 バケツ
・ロードコーン 竹筒 丸太
・消防用ホース
・香水 香辛料(シナモン、バジル、ナツメグ)
・活餌(ウサギ、モルモット、ニワトリ)
・活魚(ウグイ、フナ、ニジマス、アジ)
・他種
・他個体の糞
・床材(川砂、土、藁、チップ、落ち葉)
・ポリタンク
・ローリータンク タイヤ※ワイヤーに注意が必要
・ホース 湯たんぽ 麻袋
・ダンボール 塩ビ管 枝
・氷 牛骨 豚骨 古いボール・古いバケツ
といった選択肢があったりします。簡単に手に入って、長持ちし、費用は無料かごくごく少額で、動物にとって危険性がなく、動物にとって魅力があるようなものをどんどん探していきましょう。
エンリッチメントで気をつけること
再三「動物にとって安全で」ということを記してきましたが、最後にやはり重要なので整理します。
気を付けるべき点は
エンリッチメント装置をめぐって個体間の闘争につながることもある
動物の年齢や経験によって、消化能力や適応能力などが異なるので、個体や状況に合わせる
急激な変化ではなく、ゆるやかに変化を加えていく方が安全
サイズや形状によっては、体の一部がはまってしまったり、動物が誤飲
といった部分に関しては、気を付け、イメージし、選択していきましょう。
しかし、重要なのは危険だ危険だ、と何もしないことは決して動物のためにならないです。リスクを把握し、チャレンジではなくスキルとして実施することができる飼育員としての能力が必要です。
経験をしながら、どんどん能力を高めていきましょう。
最後にこれらの環境エンリッチメントを行うことで、動物たちの「不幸せ」を明確に理解して本日のブログは終わりにします。
異常行動とは?
異常行動とは動物たちがその環境で暮らしている中で本来持つ能力を発揮することができなかったり、やることがなく暇な時間が多かった場合に発現する行動です。動物たちにとっては「不幸せ」である証拠となります。
例えば
これといった目的もなく同じ行動を続ける「常同行動」
繁殖行動ができない、子育てができないなどの「繁殖障害」
脳が正常に発育しない、正常な体重増加が見られないなどの「発育障害」
ケンカが多い、異常に相手を攻撃するといった「社会的問題」
不必要に糞を食べる、尿をなめる、食べたものを吐き戻す、自傷、自分の毛を引き抜く、過度の発声、自分の尾を追いぐるぐる回る、他の動物の尻尾を噛む、土や砂を食べる、床や壁などを過剰に舐める
などの行動があります。
これらの行動を動物にさせてしまうのはすべて飼育員の責任です。動物たちには空間を選ぶ選択肢がありません。その環境を受け入れる以外にないのです。
ですから、飼育員はこういった異常行動が発現してしまわないように環境エンリッチメントを含めた環境構築を行い、発現してしまった場合にいかに改善できるかどうかに取り組む。
これは飼育員として大きな課題です。
この問題をクリアできなければ動物園という場所は存在し続けないほうがいいと判断される未来が来るかもしれません。
覚悟を決めましょう。動物を幸せにすると。その一点に関しては絶対に妥協しないと。
おわりに
偉そうなことをいろいろと書きましたが、自分自身の戒めのためにも今回の整理は必要だったな、と感じています。私もぜんぜんまだまだです。
もっともっと情報を集め、考え、行動しなければいけませんし、終わりなど永遠にない課題です。
動物たちが幸せであることが、来園者の心を動かす一つのきっかけになるはずです。
野生動物たちが暮らしている環境は悪化の一途をたどっています。その自然環境を持続可能なものにするために、動物園の動物たちは知り、考え、行動するきっかけとなってもらえる可能性があります。
動物園にはまだまだ可能性があります。
どういった動物園の未来があるか、じっくり考えながらいろいろとチャレンジしていきたいものです。